先日、半蔵門(四谷)を訪れる機会があった。
半蔵門と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、やはり 服部半蔵 だ。
ふと思い立ち、そのゆかりの地とされる 西念寺 に立ち寄ることにした。
寺の一角には、服部半蔵の墓が静かに佇んでいる。
正直なところ、最初は半信半疑だった。
あの伝説的な人物が、本当にこの場所にいたのだろうか。
半蔵の名は襲名制で複数代にわたって受け継がれているとも言われる。
私たちが思い描く「服部半蔵」は、歴史と物語が重なり合った存在だ。
それにしても、東京のど真ん中。
住宅やビルが立ち並ぶこの地で、かつて忍びたちが活動していたとは
にわかには信じがたい。
寺内には、簡素な系図や絵などの切り抜きが一枚掲げられているのみ。
しかし、忍びは「名を残さぬこと」を美徳とした存在だ。
多くを語らないこと自体が、彼ららしいとも思える。
確証が欲しくなり、周囲を調べてみると「鉄砲坂」という地名が目に留まった。
この坂の名は、徳川家康に仕えた服部半蔵が、この一帯で伊賀衆・甲賀衆を率い、鉄砲の訓練を行っていたことに由来すると伝えられている。周辺には鍛冶場もあったという。
疑念は確信に変わり
この地で、鍛錬を重ねていた光景を想像する。
境内には、服部家の墓だけでなく、一般の方々の墓も並んでいる。先祖の墓参りに訪れている人々の姿もあった。
その中の一人が、子どもに「松尾芭蕉=服部半蔵説」を説明しているのが聞こえてきた。
常に命の危険と隣り合わせの任務、過酷な訓練。
その困難を思えば、私が直面している不運は
取るに足らないことのように思えてきた。
不思議なことに、心が軽くなったような気がした。
歴史の地を訪れ、先人たちの生き様に触れることで
厄払いができたような、そんな清々しい気持ちで半蔵門を後にした。
また何かめげそうになったら来ようと思う。
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