一度挫折して、家元制度や上下関係もろもろ複雑になりがちな
世界だったので、二度とやることはないと思っていた茶道を
今になって改めて始めました。

理由は
①千利休キリシタン説の本を読み興味を持ったこと
 (特に裏千家にその傾向が強いこと)

②伝統工芸品、特に茶道具の収集癖があること
 (使わないのに時々眺めてニヤリとするのが癖)

③知人が通っている茶道教室の先生が謙虚で優しく
 お稽古日も柔軟に対応してくださると知り
 (毎月の開催日に満席でなければいつでも参加可)

3番目の条件は、世間になかなか無いのです。
家族が習っていた時には、先生から割と露骨に金品を要求され
私は仕事帰りに三越へ寄り贈り物を購入させられたりということが
何度かあったし
めちゃめちゃややこしい世界やなと思っていた。

そもそも家元制度・・
こういった強いヒエラルキーは日本独特の害だと感じていて
正直わたしは嫌悪感を持っていた。
歌舞伎も相撲も何と事件の多いことか。それも氷山の一角だし。

一方で、強いからこその?(極端に言えば、変化に応じず)
日本の伝統文化や芸能を残してくれているのも事実かと思う。

茶道のお点前に関して言えば
何度も何度も帛紗を畳んではしまい、しまっては広げてまた畳んで
さばき方も面倒、表千家と裏千家ではまるで違い
棗(お茶の容器)や茶杓を何度も拭き、それ自体に意味はなく
清める儀式だそうで。

私はとにかく常に最短の道を行きたいと思う
合理主義的な人間なので
果たしてこれらの儀式の連続に耐えられるのか心配だったが
どっこい

すうっとはまった。
先生が素晴らしかったのは大きく
それから多分、タイミングだったと思う。
もっと学びたいと思った。

先ずは床の間の掛け軸を拝見する。
その日のお茶席のテーマが書かれているとのこと。
「平常心是道」
”心を乱し情緒的な波乱や欲望に振り回されることなく
心を静めることで、客観的な見識や洞察力、自己の真実を
見出すことができる”という禅語だそうです。

ちなみに、茶道では「へいじょうしん」を敢えて「びょうじょうしん」
と読むそうで
唐代の名僧、趙州が修行中に師の南泉普願と交わした問答に由来しているという説明を聞きながら
心の中で「ピンチャンシンシーダオ」と中国語で読んでみた。
原文はこれだったのだろうか?という疑問が湧き
帰宅してからチャットGPTに聞いてみた。


「平常心是道」の原文は、中国語の古典文献である『道徳経』(または『道徳経』)に由来しています。『道徳経』は、道家の思想を集成した文献であり、その中の一節で「平常心是道」という表現が使われています。

『道徳経』の原文は古代中国の古典文献であり、以下になります(繁体字):

平常心是道, 以無事為上。 無事,將謂為寧。
故勝人以有事。 故無事,要言之實。

この原文を日本語に訳すと、次のようになります(意訳):

平常心こそ道であり, 無事を最上とすべし。 無事なれば平穏と謂われる。 故に有事をもって勝人となす。 故に無事は言うまでもないことである。

この箇所では、「平常心是道」が「平常心こそ道である」と訳されており、平常心の重要性が強調されています。

いつも慌ててショートカットを進もうとしていた自分に
「平常心是道」は刺さった。

あの空間とお点前の静かでゆっくりとした時間の中で
少し俯瞰できたような気がした。
たぶん、自分に一番足りない部分がそこにあったから
ハマったのかも。