もともと親とは決して仲よくはなく
自立して家を出てからは物理的に距離があったので
お互いに嫌な面を見ることも無く。

これが仲を悪化させない秘訣だと悟っていたので
実家に泊まるということはしなかった。

関西転居後も、関東に家を残しておいた理由の一つは、
実家に泊まりたくないからだった。

しかし先日その家を売却したため
恐る恐る久しぶりに実家で
しばらく寝泊まりすることになった。

20年近く離れていると、近所もだいぶ変わり
建売やマンションになっていたりして
お世話になったご近所さんも何軒かはもう居なかった。
知っている名前の表札が残っていると
非常になつかしい気持ちになった。

実家も変化した部分があり、
新しいルールができていたり
風呂やキッチンはリフォームされ
使い方がわからなかったので教えて貰い
育った家なのに民泊しているような気分だった。

だがすぐに目新しさは消え、
ああこれだから私はここに居ると苦しいんだ
と昔を思い出し、分析し続けた。

団塊世代は物が捨てられない人が多い様で
時代背景から理解はできるけど

物を買って、物が多くて他の物に埋もれて視界から消え
有ることがわからず更に買い込んで無駄にし
また場所を塞ぐという悪循環には
イラっとして震える・・・
だから泊まったらあかんのや。

あまり風水とかにこだわる人間じゃないけど
実家の気は淀んでると感じざるを得ない。
やはり、私はここにいてはイケナイ!と身の危険を感じるほどに。

高齢になると視力も落ち、汚れているのが見えない様で
(これは私もいずれそうなると思う)
片っ端から掃除を始めた。

捨てるのに抵抗されると予想してたが
やはり頑なに抵抗する場合と
意外にあっさり「捨てちゃって」と言う時があり
やはりこの人とは分かり合えないと改めて思いつつ
捨てたい物の半分以上は処分できた。

昭和レトロ物が最近はやっているというニュースを
半信半疑で聞いていたが、
本当に昭和レトロ柄の食器など売れてくれた。

ガラスケースに入った大きな
五月人形も売れてくれてホント助かった。
次回行った時は博多人形を売る予定。
こういった物、昭和で終わったな〜としみじみした。

ああいう人形、欲しいと思う時代ではなくなったから
近所の「人形の久月」系のお店も無くなっていたし。
今も欲しいと思ってくれる人がいて
(購入者はたぶんご年配の方のようだったが)
わからないものだ。

滞在中は昭和をよく思い出す日々だった。

「え!山下達郎の若い時ってこんなだったっけ??」
って思った Ginger Root を
今日は自宅の掃除をしながらずっと聞いていた。
この昭和レトロなグラスでかき氷を食べる楽しみを思い出した。