大御神神社(おおみわじんじゃ)近くには
邪馬台国畿内説で知られる
纒向(まきむく)遺跡が広がり
古墳も点在している。

の割に、市立埋蔵文化財センター
入場料200円が高く感じると評価されるほど
説明資料が少ない、との噂。
ぜひ改善を願っております。

そんな状況でこの地域の歴史を掘り下げた
この動画シリーズは貴重な資料。


この動画を通じて、海なし県である奈良が
かなり内陸部まで海があったと初めて知った。

航空写真を見て、確かに
大いにあり得る、というか形跡しかないかも。
このピンク色で囲った部分。
古墳や遺跡の点在、配置に合点がいった次第。

これをきっかけに地形の変遷を検索してみると・・

奈良盆地(大和盆地)は、かつて大阪湾の一部であり、
奈良湖または大和湖と呼ばれる大きな湖が存在していた。
数百万年前、奈良山丘陵の堆積物が海湾の入り口をふさぎ、
奈良湖が形成された。
その後、断層運動による排水で水位が徐々に低下し、
最終的には湖が干上がって現在の奈良盆地が形成されたとされている。

この変遷過程は、考古学的な証拠からも裏付けられている:

  • 旧石器時代から縄文時代の遺跡が、かつての湖岸線に沿うように分布。
  • 弥生時代になると、かつての湖底だった場所にも遺跡が見られるように。


自分の認識、全然間違ってましたわ〜。
今の「海ナシ県」という概念が邪魔をしていたけど
かつての中心が奈良だったことがこれでスッと腑に落ちた。

間違った認識、まだまだたっくさん有るんだろうなあ。
少しずつ改めて学び直します。