自分の思考の癖を見つめ直す機会があった。

不調も続いていて、体もガチガチに凝り固まっていた。
メンテナンスをしたいと思いつつ
介護の日々に追われ、予定を入れられない・・

そんな中、たまたま通りかかった整体院のオープン記念で
無料体験を受けませんか?と言われ。
面倒な勧誘の気配がプンプンしたが
予約を取らずに受けられるなら今の私にはありがたいってことで
受けてみた。

施術中、先生に言われた一言にハッとする。
ストレートネックに反り腰、これらに長年悩まされており
それに営業も強く加わるから
暫く治療に通うことを勧められることは承知の上で
飛び込んでいったわけだが、
今回に限っては「今の凝りは自律神経の影響が大きい」と言われ

自分の現状を振り返る。
自分では気持ちを切り替えているつもりだった。
帰宅後は別のことに意識を向けようとしていた。

だが、電話が鳴るたびに最悪の事態を想起し
常に「何か起きるかも」という気持ちで待機している。
土台にある不安は解消されていないので
隙間ができるとすぐに浮上してくる。

実際に何も起きていない時間も
身体は常に軽い臨戦態勢を続け
休むことが下手になっていた。

「今は介護が大変だから、自分のことは後で」
「ひと段落するまでは我慢しよう」
そうやってだんだんと自分のことを疎かにしてしまっていたが

日常に潜む「先延ばし」の癖 は
介護に限った話ではないことに気づく。

「今は大変だから後で」
「落ち着いたらやろう」
「臨時収入があったら」

一見合理的なようで、実態は
「現在の自分の優先順位を下げる」意思決定の繰り返し。
そしてこの判断は、環境が変わっても容易に再現される。
介護が終われば別の理由が現れ、同じ構造が繰り返される。

結局のところ問題はいまの状況ではなく
「条件が整うまで自分を保留する」という思考の癖なんだろう。
問題は外部ではなく、内部の「先延ばし構造」にある。

この癖の厄介な点は、本人にとって正当化しやすいことらしい。
責任感や配慮といった価値観と結びつくため、
「我慢している自分」はむしろ評価されやすいが
身体はそのロジックが適用されず
緊張や抑圧は、そのまま負荷として蓄積されるようだ。

むしろ時間や余裕が自然に生まれることは稀で
意図的に「今」から切り出すしかなく
たとえ5分でも、自分のための行為を現在に差し込む。
その訓練が私には必要なのだと悟った。

てな訳で、介護の合間に
猛ダッシュでお抹茶を戴きに行ってきた。

ほんの短い時間だが、「後で」にせず「今」に差し込む。
気分転換だけでなく、満足感と達成感も味わった。

状況は変わっていないが
自分の時間の使い方は変えられる。数分からでも。
自分の癖を置き換えていきたいところ。