母の認知症が進んでいる。
写真は、母が焦がして炭になって水をかけた後に捨てたパンの様子。
部屋中が焦げ臭いし煙もけっこう出たらしい。
幸い、火事には至らずに済んだ。
今振り返ると、認知症のサインは以前から出ていたのかもしれない。
ただ、私はなかなか認識できてなかった。
母とは普通に会話ができていたし、その日にあった出来事も覚えていた。
たまに会う人なら、おそらく認知症だとは気づかないと思う。
私自身もずっと、「年齢相応の物忘れ」くらいに考えていた。
高齢になれば誰でも忘れっぽくなる。
私だって以前より物忘れが増えたと感じることがよくある。
だからこそ、その境目が見えなかった。
どこからが普通の老化で、どこからが認知症なのか。
もしかしたら認めたくない気持ちも少しあったのかもしれない。
そんな中で、少しずつ違和感が積み重なっていき
これははっきりとおかしいと認識するまで
時間を要した。
ーーー
母には学生時代からの親友がいる。
その人は若い頃から女独りで事業をしていたしっかり者だった。
母と会うと、二人とも学生時代に戻ったかのように話が弾み
おしゃべりが止まらない。その友人と会った日の母は生き生きとしていた。
私はその状況に安心していた。
ところがある日、その友人と母はランチをする予定だったのだが
その友人のお姉さんの介護の都合で急にキャンセルになった。
また日を改めようという話で終わったはずだった。
ところが約二週間後、その友人から突然電話がかかってきた。
「今、待ち合わせ場所にいるんだけど」と。
母は聞いていないと言う。友人は約束したと言い張る。
私はこのところ実家に長期滞在しており、母が見落としがちな携帯への連絡を
毎日気にして見ているが、それらしい着信やメッセージはなかった。
母が忘れたのか。友人が勘違いしたのか。
100%断定はできないが、おそらく今回は友人の勘違い。
その時に感じたのは大きな寂しさだった。
私はどこかで、その人はずっとしっかりしている人だと思っていたからだ。
母だけではなく、同い年の友人もまた確実に老いている。
そんな当たり前のことを改めて思い知らされた出来事だった。
別の日には、こんなことがあった。
母用のバリアフリーの住居を探しており
母が近所のお友達のマンションによく遊びに行っていて、
そこに住めたらいいなあと言っていた。
そこの一室が空いたと仲介会社から連絡が入り、早速内見へ行くことに。
そこへ行く道すがらその友人に
「これから内見にいくのよ!」とラインしたようで
友人が急いで家から出てきてくださった。
その方は、定期的に電話でお話ししたり
母を支えてくださっている印象で、とてもありがたいと感じていた。
あまりに急だったので、その方は補聴器を忘れて出掛けてしまったとのことで
私たちが話しかけても話が聞こえず、会話が成立しないという事態となった。
母も難聴で片耳の聴力を失っており、母がたまたまなってしまったという感覚でいたが、80代は多くなると実感した。
そして最近、支障がでてきたのが
母が前日の出来事を忘れることが増えたことだ。ある土曜日、母が「明日はゴミの日だから出さなきゃ」と言った。
私は「明日は日曜日だからゴミの日じゃないよ」と伝えた。
「あ!そうだった」とその時は納得していた。
ところが翌日になると、その会話自体を忘れてしまっていた。
母はゴミを持って集積所へ向かったが、誰もゴミを出していないことに気づき、
ゴミを持ち帰ってきた。
洗濯物をたたんでいる時もそうだった。
自分のいわゆるババシャツを手に、
「こんなの私持ってないわよね」と言う。
長年使っていた自分のものなのに、それが分からなくなっている。
ーーー
一つひとつは小さな出来事かもしれない。
でも、その小さな出来事が確実に増えている。
今振り返ると、私は母に対してずいぶんイライラしていた。
もともと仲が良いわけではなかったという経緯もある。
「なんで人の話を聞かないの?」「この前も言ったよね」
「忘れるってわかってるならメモしておけばいいじゃない」
そんなことを何度も言ってしまった。言い合いになったこともある。
最近まで私は、認知症だという認識がなく
努力しようとせずに迷惑ばかりかける人、というような感覚で接していた。
かと言って、認知症とわかっても、どう接するのがいいか分からない。
間違いを指摘した方がいいのか。何度でも同じことを伝えた方がいいのか。
状況によっても違うのかもしれない。
わかるのは、イライラ怒ったりするのはお互いにとって良くない事だけ。
ケアマネージャーさんに相談した時、とても印象に残った言葉があった。
「子どもが覚えていく過程とは反対に、認知症は忘れていく過程」
その言葉を聞き、ようやく腑に落ちた。
その変化を見るのは寂しい。
そして母を通して80代の世界を見ながら
自分の老後についても考える。
正直、不安しかないが
不安がっても埒が明かない。
今感じている不安を、学びの原動力にして
理解や将来への備えへと変えていければと思う。
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