都心から少し離れただけなのに、
駅から介護施設までの道のりは、草木が生い茂り、鳥も多い。

餌を食べていた鳥が、毎度まいど私の目の前をバサバサっと飛び立つ。
鳥も驚いたのだろうけれど、私も毎回びっくりする。

初めて訪れた親の友人が「こんなに緑が多いのね」と
驚いたのも無理はない。
私自身も行き来するたびに、冬から春への季節の移ろい
ー 葉の色の変化、花の香り、日差しの強まり — 
を感じることができた。
つい呼吸が浅くなりがちな中で、ここを通るときは深呼吸できた。

父が余命1ヶ月足らずと宣告され、
母にも同じ施設に入ってもらい
私たちはほぼ24時間体制で父に付き添う生活を始めた。

朝5時、母が起きて父の病室へ向かう。
昼になると私が実家から施設へ行き、
母に休んでもらうため昼寝を促し交代。
夕方に私が帰宅した後は、母が再び父の部屋に戻り夜21時頃まで付き添う。
それ以降は看護師さんに託す。
何かあれば施設から病院へ連絡が入り、医師が来る。
そんな日々を繰り返していた。

医師の宣告を超え、気づけば4ヶ月。
父が倒れたのは7月だったので振り返れば
トータルで10ヶ月になろうとしていた。

その間、私たちは「もう限界かもしれない」と思う瞬間を何度も経験し
身体的な疲労だけでなく、精神的な消耗も確実に積み重なっていった。

このままでは持たないと思い、長期戦に向けて気分転換を図ることにし
母も私も、意識して自分の時間をつくり、外に出るようにした。
気持ちをなるべく切り替えることで、少し状況はやわらいだ。

それでも、見送る日が近づいてくる気配を感じると、
どうしても明るい気持ちにはなれず。

私たちは特別仲の良い家族だったわけではなく
むしろ割と別々の時間を過ごしていたと思う。
私は特に母と仲が悪く、学生の時からなるべく家にいないようにしていた。
最後の時間をここまで近くで過ごしたことは、どこか新鮮でもあった。

在宅介護も短い期間ではあったが、後になってみると
(心底大変だったが)経験してよかったと思っている。
介護をする側の事情も分かり、大変さも共感できる。
在宅介護の限界を感じたので、施設に入り
看護を受けながら、家族で過ごすという
ハイブリッド型にできたので、全く後悔がなく
やり切ったという思い。

その一方で、自分自身の最期について考えてしまう。
いったい誰が、どのように関わってくれるのだろうか。
ひとりでどう終えるのか?

今まではぼんやりと楽観視していたけど、
自分でどうにかしっかり設計しておかないと病気にもなれない・・。
真剣に事前準備をせねばと細胞レベルで思った。